ラ・フランスの熟れる頃

-日本とイスラーム世界との対話-

La Poire au Moyen-Orient/La Poire in Middle East

الأوسط الشرق في كمثرى

【エジプト・アレクサンドリア産, 2009/3/28, チュニスのスーパーマーケットにて加藤撮影】

ラ・フランスはフランス原産の「洋ナシ」である。ヨーロッパではあまり生産されていないようであるが、中東、アラブ世界では市場でよくみかける果樹である。写真はチュニジアの首都チュニスのスーパーマーケットで見つけたエジプト・アレクサンドリア産のラ・フランスの写真である。日本では、山形県・庄内地方が有名である。その歴史は浅いが、第二次世界大戦後の果実栽培の努力の結晶である。また、庄内地方は、いまではすっかり忘れ去らさられているが、大川周明、石原莞爾、内藤智秀、阿部次郎など、戦前・戦中期に中東・イスラーム世界とかかわった日本人の生まれ故郷である。

こじつけではあるが、ラ・フランスが取り持つ中東と日本の縁である。縁はできるものではなく、作り出すものである。果樹が取り持つ縁といえば、山口県・防府出身の農務官僚、尾崎三雄が思い出される。彼は1930年代の後半にアフガニスタンに赴任し、主に果樹野菜の栽培促進に従事した。公務の傍ら、多くのフィールドワークを行い、その精緻な仕事から、われわれは彼をアフガニスタンでの最初の地域研究者として評価している。帰国後、故郷に帰り、アフガニスタンのことを語ることは少なかったが、防府の自宅にはアフガニスタンから持ち帰ったザクロの木が植えられていたという。

本ホームページは、日本と中東・イスラーム世界との関係を見直し、埋もれた史資料を発掘することに興味を持っている研究者・有識者のホームページのための共通エントランスである。アイデアは、2000年から2008年の8年間、日本とバハレーンの外務省が主催した「日本とイスラム世界との文明間対話」から得た。この二つのプログラムの目的は、日本とイスラーム世界の有識者間に自由な対話の場を設けることであった。そして、その一環として、有識者ネットワーク構築を目的としたウェブサイト「叡智の架け橋」を立ち上げた。対話プログラムは大成功であったが、ウェブサイトの運営はうまくいかなかった。その原因は、その趣旨とは裏腹に、ウェブサイトの運営が参加者の自発性に基づかなかったからだと考えている。その中から、自由で無理をせず、自発的で継続的な営みの重要性を学んだ。

本ホームページへの参加は自由である。個人であれ組織であれ、ウェブサイトを持っている研究者・有識者は参加してほしい。各ページはそれぞれの参加者が構築・更新していくが、「新着情報」と「アーカイブ共通目録」については、本エントランスに設けられている。本エントランスは、PC及びスマートフォン対応であるが、各ページは添付アーカイブが多いため、PC環境での閲覧が望ましい。

そういえばラ・フランスといえばエジプト・カイロのザマーレク地区にもこの名を関した小洒落たレストランがあります。
http://www.elmenus.com/cairo/restaurants/la-poire-4055

収穫は実の固いうちに行われる。収獲直後の実は堅く甘味もなくまずい。収穫後に常温で10日から2週間程度追熟されることで初めて生食に適すものになる。追熟の間、果実に含まれるデンプンが分解されて果糖、ショ糖、ブドウ糖などの糖となることで甘味が増し、ペクチンのゲル化により舌触りの滑らかさが増す。一段と芳香が強くなり、赤ん坊の頬くらいの柔らかさになったときが食べごろである。冷蔵庫などで冷却することにより、追熟を中断することもできるが、一旦食べごろを迎えると一気に熟成が進む。生っているときに枝に近い部分が褐色を帯び柔らかくなってから1日程度が完熟の目安である。

日本における主な産地は山形県、長野県で、10月上旬-中旬頃収穫され、11月上旬-中旬にかけて食べ頃となる。山梨県富士川町では、珍しいラ・フランス狩り観光農園がある。収穫時期は9月下旬-と主産地より早い。

タルト・ジュース・ジャムの原料に使われている。