文献

文献 史料解題(法令・文書)

本研究は‐そこで扱われるテーマのほか、依拠される史料に基づいて、大きく第一・二部と第三・四都とに分けられる。第一・二部において依拠される史料は、付録において翻訳掲載される諸法令を中心とした刊行土地関係法令であり、第三・四部―ただし第Ⅸ・Ⅶ論文を除く―‐において依拠される史料は、エジプト国立文書館所蔵の未刊行文書である。以下、本論における史料紹介の重複を避ける目的から、刊行土地関係法令とエジプト国立文書館所蔵の未刊行文書のそれぞれについて、簡単な史料解題をしておきたい。

法 令

1.法令集

一九七九年に、五〇周年をむかえた、アラビア藷による最古の新聞al-waq?i? al-mis?r?ya (『エジプト官報』)が政府広報の役割を担うようになり、また、各年の勅令を集めたmajm??at al-aw?mir al-?al?ya wa al-dikr?t?t (フランス語版(Bulletin des lois et d?cr?ts)や、各種政府機関決定、各省通達を集めた majm??at al-qar?r?t wa al-mansh?r?t (フランス語版 Recueil des documents officiels du Gouvernement ?gyptien)のような法令集が、政府刊行物として、年ごとに本格的に編纂されるようになるのは、一八八〇年代に入つてからのことである。それ以前に公布された法令、その他政府公文書の多くは、いまだ刊行されず、エジプト国立文書館やエジプト国立公文書館(D?r al-Mah?f?z??t)などの文書館や政府官庁に未整理のまま保存されている。しかしながら、重要な法令の多くは、一九世紀末期から二〇世紀初頭にかけて、公的あるいは私的に編纂された幾つかの法令集のなかに収められている。そのうち、土地・税制度関係法令を多く収めた代表的な法令集を挙げれば、以下のようなものがある。

① Al-H?uk?ma al-Mis?r?ya, al-qaw?n?n al-?aq?r?ya f? al-diy?r al-mis?r?ya, 1st ed. 1893, 2nd ed. 1901, Cairo; do., majm?? qaw?n?n wa law?’ih? al-amw?l al-muqarrara, Cairo, 1909. 前者は土地制度を中心に、後者は税制度を中心に、エジプト財務省が関連諸法令である。法令が項目別に分類されて再録されているため、利用するのには、便利であるが、幾つかの重要法令を除けぱ、法令の全文は収録されていない。なお、前者には以下のフランス語訳がある。Le Gouvernement ?gyptien, La l?gislation en mati?re immobili?re en ?gypte, premi?re ?d. 1983, deuxi?me ?d. 1901, Le Caire.

② F. Jil?d, q?m?s al-id?ra wa al-qad??’, 6 vols, Alexandria, 1890-1895; do., al-q?m?s al-??mm li al-id?ra wa al-qad??’, 7 vols, Alexandria, 1890-1908. 編者は、シリア生まれの法律家。前者は、当初、五巻本(一八九〇-一八九二年)として刊行された。しかし、その後、一八九二年以降の法令を収集した増補巻として、まず、一八九四年に第五巻が、外交文書を収録した初版本の第五巻と合冊された形で、次いで、一八九五年に第六巻が刊行され、この法令集は、最終的には六巻本となった。後者は、前者の増補改定版である。この版は、前者の増補改定版にあたる第一-四巻、第六巻のほか、非イスラム教徒に関する法律を収録した第五巻(kit?b al-ah?w?l al-shakhs??ya li al-t?aw?’if ghayr al-isl?m?ya)と、一八八三年設立の国民裁判所に関する法律を再録し、それに注釈を加えた第七巻(kit?b al-ta?l?q?t al-qad??’?ya ?al? qaw?n?n al-mah??kim al-mis?r?ya li-gh?yat sana 1907)とを含む、都合七巻本として刊行された。なお、F. Jil?d には、こうしたアラビア語法令集のほかに、以下のようなフランス語法令集がある。Ph. Gelat, R?pertoire g?n?ral annot? de la l?gislation et de l’administration ?gyptiennes, 1840-1910, 6 vols, Alexandrie, 1906-1911; do., R?pertoire de la l?gislation et de l’administration ?gyptiennes; p?riode 1888-1892, 3 vols, Alexandrie, 1893; do., Rep?rtoire annot? de la l?gislation et de l’administration-?gyptiennes, 1894-1896, 3 vols, Alexandrie, 1897-1899.こうしたフランス語法令集のなかには、アラビア語法令集に収録された法令のうち、全部ではないものの、その相当数がフランス語に翻訳され、収録されている。

③ Am?n S?m?, taqw?m al-n?l, 6 vols, Cairo, 1916-1936. 法令集というよりは、未刊行のアラビア語、トルコ語政府公文書を、年代順に収録、あるいは、翻訳したうえで収録することによって、近代エジプト史を綴つた特異な年代記。ただし、土地・税制度に関する情報はあまりみられない。

④ J. H?unain, al-at?y?n wa al-d?ar?’ib f? al-qut?r al-mis?r?, Cairo, 1904. エジプト財務省直接税局役人による土地・税制研究書。関連法令の再録とその解説から構成されており、法制史的視角から近代エジプト土地・税制度史を研究する際の、貴重な手引書となっている。しかし、その大部分は、一八八〇年以降の土地・税制度改革史にあてられている。

⑤ Yacoub Artin, La propri?t? fonci?re en ?gypte, Le Caire, 1883. アラビア語訳、Y. Artin, al-ah?k?m al-mar??ya f? sha’n al-ar?d?? al-mis?r?ya, Cairo, 1306 A. H. エジプト政府の文人官僚による土地・税制度史研究書。 一八八〇年までに公布された多くの土地関係法令が、全文ではないものの引用されており、従来の近代エジプト土地・税制度史研究において最も影響力をもってきた文献である。また、この著作のアラビア語訳には、幾つかの法令がアラビア語のままで再録されている。

⑥ Ah?mad Zaghl?l, al-muh??m?t, Cairo, 1900. 著名な法律家による近代エジプト法制史研究書。土地・税制度を直接に研究対象とはしていないが、ムハソマド・アリー時代の法令を多数再録している点で貴重である。

⑦ Muh?ammad Qadr?, kit?b q?n?n al-?adl wa al-ins??f li al-qad??’ ?al? mushkil?t al-awq?f, Cairo, 1893 (フランス語訳、Du wakf, Le Caire, 1890)。これは、後述する混合裁判所設置にともない、イスラム法に暗い外国人判事のために、ワクフに関するイスラム法規を収集、編成したものである。オスマン朝の御用学派であったハナフイー法学派の規定を中心に収集された法規群が、ヨーロッパの近代法典にならって、条文の集積として騙成されたもので、同時期のオスマン朝におけるメジェッレ(Mejelle)に相当する。

土地・税関係法令

本研究で分析の対象とされたのは、一九世紀に公布された土地.税関係法令、とりわけ一九世紀中葉の土地立法である。そこで、これら一連の土地立法を構成した重要な法令を列挙し、その出典を示せば以下の通りである。

① 「ムハソマド・アリー法令集」(q?n?n al-muntakhab?t )。ムハソマド・アリーによって公布された重要な法令は、彼の治世末期の一八四五年において、q?n?n al-muntakhab?t としてまとめられた。これは、一八三〇年のq?n?n al-fil?h?a(「農業法」)、一八三七年のq?n?n al-siy?sa al-malak?ya (「行政法」)、一八四二年のl?’ih?at al-jus?r (「濯漑法」)、およぴこれら法律を補則する一連の法令を集めた、二〇三条からなる法令集である。そのなかで、当時の土地保有事情を知るうえで貴重な史料となる法律は、第一-五五条として収録されたq?n?n al-fil?h?a と、七六-八〇条、八七-九七条としてそれぞれ収録された、l?’ih?at al-jus?r とその補則である一八四三年のq?n?n ?amal?y?t al-jus?r (「滋漑事業法」)である。本研究では原本を利用したが、当該法令集は、F. Jil?d, q?m?s al-id?ra wa al-qad??’, vol. 3 pp. 351-378, Ah?mad Zaghl?l, al-muh??m?t, appendix, pp. 100-155 に再録されている。

② 一二五八年(一八四二年)ムハッラム月五日付、ルーズナーメ局宛て勅令。この特権地アプアーデイーヤ地に完全土地処分権を付与した勅令については、原文を入手できず、以下の文献に再録されている当該勅令のアラビア語原文、そしてそのフランス語訳を利用した。Y. Artin, al-ah?k?m al-mar??ya f? sha’n al-ar?d?? al-mis?r?ya, pp. 54-56 (Y. Artin, La propri?t? fonci?re, pp. 334-336). Am?n S?m?, taqw?m al-n?l. ?as?r muh?ammad ?al?, pp.516-517.

③ 一二六三年(一八四六年)ズゥルカアダ月二三日付土地法。この法律は、一九世紀中葉における農民保有地に関する一連の土地立法の最初であったため、第一土地法と通称されている。本研究では、以下の文献における その再録を利用した。Ah?mad al-H?itta, t?r?kh al-zir??a al-mis?r?ya fi ?ahd muh?ammad ?al? al-kab?r, Cairo, 1950, pp. 359-363.

④ 一二七一年(一八五四年)ジュマーダーⅡ月八日付土地法。この通称第二土地法については、その全文を再録した法令集、文献はない。しかし、この土地法の全文の収録に近い解説が、以下の文献にみられる。 Ah?mad al-H?itta, t?r?kh mis?r al-iqtis??d? f? al-qarn al-t?s?? ?ashar, Cairo, 1958, pp. 83-86.

⑤ 一二七四年(一八五八年)ズゥルカアダ月二四日付土地法。その正式な名称は、al-l?’iha al-sa??d?ya f? h?aqq at?y?n al-diy?r al-mis?r?ya, Cairo, 1274 A. H. である。一九世紀中葉における一連の土地立法を体系化したこの土地法は、公布時のエジプト総督の名をとって、サイード法と通称される。その再録は以下の文献にみられる。J. H?unain, al-at?y?n wa al-d?ar?’ib, pp. 387-412. M. K. Murs?, al-milk?ya al-?aq?r?ya f? mis?r wa tat?awwur-h? al-t?r?kh? min ?ahd al-far??ina h?att? al-?n, Cairo, pp. 125-146. ただし、この二つの再録には、数ケ所、否定辞が抜けているなどの誤植があるため、注意して読む必要がある。

⑥ ムカーパラ法(l?’ih?at al-muq?bala)。これは、外債償還の資金捻出のため、土地保有者に六年分の税金の前払、すなわちムカーパラを呼びかけた法律で、ムカーパラ支払いの代償として、支払い終了後、土地税を半額にし、あわせてハラージュ地保有者に対しては、彼らの土地での完全土地処分権を認めるという内容からなっていた。この法律は、一二八八年(一八七一年)ジュマーダーⅡ月二ニ日に四五条からなる法律として、公布されたが、同年ラジヤプ月一日、新たに三条が補則され、都合四八条の法律となった。本研究では、l?’ih?at al-at?y?n wa l?’ih?at al-muq?bala, 3rd ed., Cairo, 1301 A.H. を利用したが、その全文は以下の文献において再録されている。F. Jil?d, q?m?s al-id?ra wa al-qad??’, vol 4, pp. 384-391. また、そのフランス語訳が、Ph. Gelat, R?pertoire g?n?ral annot? de la l?gislation et de l’administration ?gyptiennes, 1888-1892, pp. 199-207 にみられる。

⑦ 農業監督委員会設置法。この法律は一二八八年(一八七一年)シャツワール月一八日に公布されたが、本研究では、l?’ih?at tart?b maj?lis taft?sh al-zir??a, Cairo, 1301 A. H. を利用した。この法律によって設置された農業監督委員会は、全般的な農業振興を目的とした機関であったものの、もっぱら灌漑事業のための労働力・資材調達と水の分配管理をその職務としていたところから、この法律は灌漑立法としての性格を備えていた。なお、この法律については、以下の文献にフランス語訳がみられる。Ph. Gelat, R?pertoire g?n?ral annot? de la l?gislation et de l’administration ?gyptiennes, 1840-1908, vol. 3, pp. 190-212.

⑧ 修正サイード法。サイード法は、一八七五年の混合裁判所設置法(l?’ih?at al-mah??kim al-mukhtalat?a)第三六条における、当時有効であった土地に関する法律を刊行すベき旨の規定に従い、同年、全二八条が大幅に削除された形で、全一五条からなる新たな土地法として再公布された。これが修正サイード法である。本研究では、ムカーパラ法の解題において挙げた第三版(l?’ih?at al-at?y?n wa l?’ih?at al-muq?bala, 3rd ed., Cairo, 1301 A. H.)を利用したが、その全文は以下の文献に再録されている。F. Jil?d, q?m?s al-id?ra wa al-qad??’, vol 1, pp. 182-190. Y. Artin, al-ah?k?m al-mar??ya f? sha’n al-ar?d?? almis?r?ya, pp. 219-232. また、以下の文献において、フランス語訳がみられる。Ph. Gelat, R?pertoire g?n?ral annot? de la l?gislation et de l’administration ?gyptiennes, 1840-1910, vol. 3, pp. 83-93.

⑨ 混合裁判所民法典(al-q?n?n al-madan? li al-mah??kim al-mukhtalat?a)、国民裁判所民法典(al-q?n?n al-madan? li al-mah??kim al-ahl?ya)。前者は、国内裁判権と領事裁判権の並存という事態を解消するため、外国人とエジプト人との間、ならびに外国人どうしの争議を裁くために一八七六年に開設された混合裁判所(al-mah??kim al-ahl?ya)において適用されるため、その前年の一八七五年に、また後者は、イギリスによるエジプト軍事占領が開始された後の一八八四年、エジプト人の間での争議を裁くための近代的裁判所として開設された国民裁判所(al-mah??kim al-ahl?ya)において適用されるため、その前年の一八八Ξ年に、それぞれ公布された民法典である。後者の国民裁判所民法典は前者の混合裁判所民法典とほぼ同じ内容をもつが、ともにフランスのナポνオソ民法典に準拠して制定された。両民法典は公布以来、幾つもの版を重ね、その法文が載せられている法令集、文献、またそれらについての註釈書、研究者の数も、枚挙にいとまがないほど多い。ここでは、そのうち、この二つの民法典とナポレオン民法典の条文を比較するのに便利なJoseph Aziz, Concordance des Codes ?gyptiens Mixte et Indig?ne avec le Code Napol?on, premi?re partie, Code Civil, Alexandrie, 1886 だけを挙げておく。

判例・判決文

ことによって、近代的諸法典が適応されるこの二つの裁判所と、大幅に機能が縮小された伝統的イスラム法廷(al-mah??kim al-shar??ya)とから構成されることになった。  このうち、イスラム法廷については、 一部の有力なウラマー(法学者)のファトワー(法意見)集のほかは、そこでの判決が刊行物として出版されることはなかった。   近代的な二つの裁判所については、その開設以来、そこでの判決が、Jurisprudence des tribunaux de la r?forme en ?gypte、 そして al-majm???t al-rasm?ya li al-mah??kim al-ahl?ya (Official Bulletin of the Native Tribunals)という判例集の形で毎年出版された。 ところで、われわれはこうした判例集か、裁判における法文の適用の現実を知ることができるものの、個々の判例文はきわめて短いことから、その文章から当該争議の具体的内容を復元することは不可能である。これに対して、裁判所が公的に、あるいは係争関係者が指摘に、重要な争議について、裁判家庭の審議内容と判決文を編纂し、小冊子として出版した記録は、その内容か当該争議を具体的に復元し得るところから、法制史研究のみならず、社会経済史研究にとっても貴重である。第四部の第Ⅶ論文が依拠したマンスーラ混合裁判所の民事法廷における判決文(Tribunal Mixte Civil de Mansourah, Conclusion. Audience du 15 novembre 1898, Le Caire, 1898)はこうした小冊子の一つである。私はこの小冊子を一九七七年から七九年にかけてのカイロ留学時において、偶然、行きつけの本屋の倉庫での僥倖を期待するこのような収集作業の成果など、知られたものである。ともかく、その性格からして、この種の史料はどこか一ヶ所にまとめられて保存されてしかるべきであると考えられるのだが、現在の私は、この点に関する情報を入手し得ていない。

文 書

本研究の第三・四部において依拠したのは、エジプト国立文書館(D?r al-Wath?’iq al-Qawm?ya al-Mis?r?ya) 所属の未刊行アラビア語、トルコ語文書、とりわけ『エジプト総督内閣官房トルコ語局文書』(mah??f?z? ma??ya san?ya turk?)という題名のもとに収集・整理されている文書群である。そこで、以下、まず最初に、エジプトにおける「文書」史料の全般的保存・閲覧事情についで、私の個人的な文書渉猟体験を交じえつつ簡単な解説を加え、次いで‐『エジプト総督内閣官房トルコ語局文書』を紹介し、その史料的性格を吟味してみたい。

1.エジプトにおける「文書」史料事情

近代エジプト史研究者にとって、エジプトにおける「文書」史料の管理・閲覧事情は、以下の二点から満足のいくものではない。

第一は、ムハソマド・フリー時代以降の文書保管制度の変遷のなかで、文書が多くの場所に分散して保管されているという点である。現在、エジプト政府は、歴史的重要性をもつ文書や書類を、一九五四年の法令によって設置されたエジプト国立文書館(D?r al-Wath?’iq al-Qawm?ya) ―設置当時の名称は国民文書館(D?r Qawm?ya li al-Wath?’iq)―のもとに収集し、集中管理する意図をもっている。しかし実際には、この作業は余り進捗しておらず‐文書は‐国立文書館(D?r al-Watha’iq)と国立公文書館(D?r al-Mah?f?z??t)の二つの主要な文書保管センターのほか‐国立図書館(D?r al-Kutub)‐省庁やその他政府機関、イスラム法廷、混合裁判所‐アズハル当局などに分散して保存されている。

第二は、エジプトにおいて文書の保管を担う二大センターである国立文書館、国立公文書館でさえ、その所蔵文書について完全な目録を作成していない点である。確かにかつて、二人の欧米人によって、この二つの主要な保管センターの所蔵文書に関して、目録作成がなされた。J. Deny, Sommaire des archives turques du Caire, Le Caire, 1930と、H. A. Rivlin, The D?r al-Wath?’iq in ??bd?n Palace at Cairo as a Source for the Study of the Modernization of Egypt in the Nineteenth Century, Leiden, E. J. Brill, 1970 である。

前者は、一九三三年にアブディーン宮殿に設置され、ムハンマド・アリー時代から第-次世界大戦までの歴史文書の収集にあたった、国立文書館の前身であるエジプト歴史文書館(D?r al-Wath?’iq al-Mis?r?ya wa al-Mah?f?z??t al-T?r?kh?ya)に所蔵された文書に関する研究であり、後者は、この前者の文献のなかで作成された文書目録を補うために作成された、一九六四年時点での国立文書館における所蔵文書の目録である。

ところが、一九六四年当時アブデイーン宮殿に設置されていた国立文書館は、一九六九年に城砦に移されるとともに――さらに現在では、プーラーク地区のナイル河畔に移転しつつある――、その後、国立公文書館のコレクションの一部が国立文書館に移管され、また国立文書館が新たに様々な出所の大量な文書を受け入れたため、上記二つの文書目録は現在の国立文書館の文書所蔵状況を反映するものとはなっていない。そこで、文書所蔵の現状を反映した新たな目録作りがなされなければならないのであるが、それはこれまでのところ実現していない。かくて、文書保管体制の杜撰さ、文書閲覧手続き上の煩雑さもあって。エジプト人研究者でさえ、容易に目指す文書にアクセスできないというのが実情である。

さて、法令に依拠した研究に一区切りをつけたものの――それが本研究に収められた第一・二部における第I-V論文と、第四部における第Ⅸ・Ⅲ論文である――、法令、その他刊行史料に依拠した研究に限界を感じた私は、一九八二年から八四年にかけて、再びカイロに滞在した。今回の滞在目的は、その存在が知られている未刊行文書を閲覧することであった。しかし、エジプトにおける文書管理事情が先にみた通りであるうえ、語学的なハンディキャップを負っている日本人にできることといえば、おのずと眠られていた。実際のところ、この二回目のカイロ滞在に際して、私は特定の文書の閲覧を希望していたわけではなく、ただ漠然と、一九世紀中葉の土地立法に依拠したそれまでの私の研究のなかで導き出された幾つかの結論を、文書に基づいてより実態的に、そしてより社会経済史的に捉えてみようと考えていたに過ぎなかった。

かくて、私の国立文書館での文書渉猟は、mah??fiz? abh??th、つまり文字通りには「研究のための文書」と題された文書群に目を通すことから始められた。この文書群は、文書校訂者が、閲覧者の便宜のために、例えば「農業」「灘漑」「浮浪者」「遊牧民」「治安」「貨幣」などのテーマごとに、関連所蔵文書――もちろんすべてではなく、ほんの一部であるが―を、アラビア語文書の場合にはそのまま筆写し、トルコ語文書の場合にはアラビア語に翻訳して集めたものである。つまり、それは、文書館での閲覧者、とりわけ初級の文書研究者にとつて、文書館所蔵の文書に関する一種の索引の役割を果しているのであり、私の作業とは、この索引に導かれて、私の研究テーマに近い内容をもつ文書に当りをつけ、もしそれが可能ならば、それら文書の閲覧を願い出るというものであつた。こうして見つけ出した文書のなかに、第X論文でその翻訳を試みた『アラビア語勅令簿』(daftar aw?mir ?arab?)に収録された二つの勅令があった。

ところが、一九六四年当時アブデイーン宮殿に設置されていた国立文書館は、一九六九年に城砦に移されるとともに――さらに現在では、プーラーク地区のナイル河畔に移転しつつある――、その後、国立公文書館のコレクションの一部が国立文書館に移管され、また国立文書館が新たに様々な出所の大量な文書を受け入れたため、上記二つの文書目録は現在の国立文書館の文書所蔵状況を反映するものとはなっていない。そこで、文書所蔵の現状を反映した新たな目録作りがなされなければならないのであるが、それはこれまでのところ実現していない。かくて、文書保管体制の杜撰さ、文書閲覧手続き上の煩雑さもあって。エジプト人研究者でさえ、容易に目指す文書にアクセスできないというのが実情である。

さて、法令に依拠した研究に一区切りをつけたものの――それが本研究に収められた第一・二部における第I-V論文と、第四部における第Ⅸ・Ⅲ論文である――、法令、その他刊行史料に依拠した研究に限界を感じた私は、一九八二年から八四年にかけて、再びカイロに滞在した。今回の滞在目的は、その存在が知られている未刊行文書を閲覧することであった。しかし、エジプトにおける文書管理事情が先にみた通りであるうえ、語学的なハンディキャップを負っている日本人にできることといえば、おのずと眠られていた。実際のところ、この二回目のカイロ滞在に際して、私は特定の文書の閲覧を希望していたわけではなく、ただ漠然と、一九世紀中葉の土地立法に依拠したそれまでの私の研究のなかで導き出された幾つかの結論を、文書に基づいてより実態的に、そしてより社会経済史的に捉えてみようと考えていたに過ぎなかった。

かくて、私の国立文書館での文書渉猟は、mah??fiz? abh??th、つまり文字通りには「研究のための文書」と題された文書群に目を通すことから始められた。この文書群は、文書校訂者が、閲覧者の便宜のために、例えば「農業」「灘漑」「浮浪者」「遊牧民」「治安」「貨幣」などのテーマごとに、関連所蔵文書――もちろんすべてではなく、ほんの一部であるが―を、アラビア語文書の場合にはそのまま筆写し、トルコ語文書の場合にはアラビア語に翻訳して集めたものである。つまり、それは、文書館での閲覧者、とりわけ初級の文書研究者にとつて、文書館所蔵の文書に関する一種の索引の役割を果しているのであり、私の作業とは、この索引に導かれて、私の研究テーマに近い内容をもつ文書に当りをつけ、もしそれが可能ならば、それら文書の閲覧を願い出るというものであつた。こうして見つけ出した文書のなかに、第X論文でその翻訳を試みた『アラビア語勅令簿』(daftar aw?mir ?arab?)に収録された二つの勅令があった。

そして、こうした作業の紆余曲折を経た後にたどり着いたのが、『エジプト総督内閣官房トルコ語局文書』(Mah??fiz? ma??ya san?ya turk?)と題された文書群であった。私は、先のカイロ滞在中に、この文書群のうち、一八五三年から一八六五年までの一二年間に作成された、都合六一カルトンに収められた文書に目を通すことができた。一カルトンには、数行しかない勅令から、数一〇葉、数一〇ページに及ぶ調査報告書まで、平均して二五〇文書が含まれている。私にとって、この文書群にたどり着いたことは大変に幸運なことであった。というのも、この文書群は、私の関心、能力、そして許された時間のなかで、もっとも能率的に私の近代エジプト社会経済史研究を可能にさせてくれる史料のように思われたからである。    そのため、この文書群は、これまでの研究においてはもちろんのこと、私の今後の研究計画においても重要な史料として位置づけられている。そこで、以下、この文書群の史料としての性格、価値について、簡単な解説を加えてみたい。

2.『エジプト総督内閣官房トルコ語局文書』

さて、当該文書群のタイトルとなっているマイヤー・サニーヤ(al-ma’??ya al-san?ya)とは、文字通りには「側近」を意味するが、別名「補佐協議会」(sh?r? al-mu??wana)と呼ばれたことが示すように、エジぷいとの総督の側近くにあって、彼を補佐する内閣あるいは諮問委員会(フランス語訳では、le Cabinet vice-royal)あった。そして、この機関には、当時の言語事情を反映して、アラビア語をトルコ語に、トルコ語をアラビア語にそれぞれ翻訳する部局として、トルコ語局とアラビア語局があった。    当該文書群は、このうちトルコ語局によって収集・整理・作成されたものである。

このように、この「エジプト総督内閣」は、その性格から、国政全般にわたって目をくばり、通常の行政官僚機構、司法裁判制度を総合的に統括する立場にあったが、同時に、同じくエジプト総督に直属する形で、いわば指摘法律・行政顧問団として設置された立法委員会(majlis al-ah?k?m)、地方行政監督庁(d?w?n al-taft?sh)、などと並んで、    通常の行政官僚機構、司法裁判制度では臨機応変に対処できない重要緊急司法・行政・立法業務、およびそのための情報収集活動を行った。そのため、この機関は、一方では、御上の命令をすばやく伝達する上意下達として機能するとともに、他方では、末端地方行政レベルの住民の不満を陳情(shakw?)、異議申し立て・申請(?ard?, i?r?d?)という直訴の形で吸い上げる機能を果たした.

こうして、『エジプト総督内閣官房文書』とは、当時の中央権力にとって緊急に検討を要するテーマ・事件に関して、「エジプト総督内閣」と地方行政官との間で取り交されたトルコ語・アラビア語文書群を収集・整理したものにほかならないが、「エジプト総督内閣」の前記業務内容から容易に想像されるように、これら文書群は、その内容からして、以下の二つに大別することができる。

第一は、本研究の第Ⅵ論文においてみられるごとく、税制改革などの新たな政策を実施するためであれ、あるいは、例えば遊牧民反乱を鎮圧し、国内秩序を回復するためであれ、当時、中央政府が緊急に必要とした何らかの情報に関して、「エジプト総督内閣」と地方行政官とが取り交した文書群である。そして、第二は、本研究の第X論文にみられる徴兵問題であれ、あるいは第Ⅶ、Ⅷ論文にみられる土地問題であれ、当時すでに実施されていた何らかの国政に対する国民からの陳情.異議申し立てに関して、「エジプト総督内閣」と地方行政官とが取り交した文書群である。(12)

ところで、この二つの文書群に共通しているのは、それらがともに地方当局が作成した報告書を中心に構成されている、ということである。つまり、これら文書群は、地方レベルの情報でもって近代エジプト社会を再構成することを可能にさせるのであって、そこに、当該文書群における最大の史料的価値がある。とはいえ、それらが国家権力の手になる公文書であることには変りない。しかし、この点は、当時のエジプト社会の現実と近代エジプト社会研究における史料状況を考える時、短所であるどころか、長所となりさえする。

例えば、先に大別した二つの文書群のうち、第一の文書群にみられる税制改革関係報告書などには、それが租税台帳などの第一次資料からの写しという、いわば第二次資料としての性格をもつものであるとはいえ、他の種類の史料からは知ることの困難な、全国レベルでの当該税の課税・徴税事情に関する情報が含まれている。 また、第二の文書群において、国家はしばしば陳情・異議申し立ての対象となった事件・紛争に調停者として登場し、その解決を指示するが、その際、国家は当事者たちからの証言のみならず、関連文書証拠を探し出し、参照できる立場にあり、こうした国家の裁決過程を具体的に記述した報告書は、さながら一篇の推理小説の観を呈する。(14)

従って、これら文書群の史料としての短所は別のところ、つまり、それはその性格からして、特定テーマ・事件の時系列的分析を許す類の史料ではない、というところにある。確かに、これら文書群にもられている情報の内容は、具体的かつ多岐にわたっている。また、そこでは、国家が必要と判断した限りでの、当該テーマ・事件の「過去」が言及されている。しかし、『エジプト総督内閣官房文書』は、本来、時のエジプト政府がどんなテーマ・事件に注意を払っていたかを示す史料であり、もしそのテーマ・事件が解決し、エジプト政府の関心を引かなくなるや、当該テーマ・事件がこの文書群のなかで再び言及されることはない。かくして、われわれは、同一史料による当該テーマ・事件の時系列的分析の手掛りを失う。

さて、以上の叙述から、『エジプト総督内閣官房文書』をどのように利用すれば、その史料としての長所を最も発輝きせることができるかについては、もはや多言を要しまい。つまり、その利用方法とは、上記時系列的分析に係わる短所についでは、その種の分析を許す資料に容易に接近できるエジプト人、欧米人研究者の業績をフォローすることによって補いつつ、あらかじめ幾つかの細かい問題設定をしたうえで史料に臨むのではなく、できるだけ自由に史料自体に語らせるという事例研究の手法である。そこで、われわれも、本研究において、「一九世紀中葉の土地立法は当時のエジプト農村社会にどのような影響を与えたのか」という基本問題設定には十分注意を払いつつも、論述をこの点に限定することなく、依拠する史料を、そのそれぞれの内容に応じて、近代エジプト農村社会を知るための史料として、自由に、そして多面的に分析するように努めたい。

(1) 『エジプト官報』(al-waq?i? al-mis?r?ya)については、以下の文献が詳しい。Ibr?h?m ?Abduh, t?r?kh al-waq?i? al-mis?r?ya 1828-1942, CAiro, 1942.

(2) メジェッレ (Mejelle)については、とりあえず以下の文献を参照のこと。C.V. Findley, “Medjelle”, in Encyclopaedia of Isram, New Edition, Ⅵ, Leiden, E. J. Brill, 1991.

(3) 先に、Ⅰ法令集の①で紹介した al-qaw?n?n al-?aq?r?ya f? al-diy?r al-mis?r?yaの目次は、一九世紀に公布された土地保有なら ぴに土地税に関する法令についての貴重な年表となっている。本研究の末尾に掲載された「一九世紀エジプト土地・税関係法令年表」はこの目次を翻訳したものである。

(4) 一九世紀末薬から二〇世紀初頭にかけてのエジプト裁判制度については、膨大な量の文献、研究書があるが、そのなかで、以下の二つは、このテーマについての簡潔なガイドブックとなっている。 M. M?llwraith, Legislation and Judicial Organisation in Egypt, Cairo, 1908. Ah?mad Qamh?a, niz??m al-qad??’ wa al-id?ra, Cairo, 1910.

(5) 有力ウラマーのファトワー集については、最高ムフラィー(muft? al-diy?r li al-mis?r)に任命されたムハンマド・アブドゥ(Muh?a- mmad ?Abduh)のファトワー集が有名であるが、その他にも、高名なイスラム法学者について、彼らのファトヮーが集められ、出版されたようである。例えば、私の手元には、イスラム暦一三○一年(西暦一八八二-三年)に出版された、当時の最高ムフラティー、ムハンマド・アッパースィー・マフディー(Muh?ammad al-?Abb?s? al-Mahd?)の『エジプト官報』に掲載された膨大な量のファトヮー集 (al-fat?w?)がある。そこでは、問答形式によってさまざまな問題が扱われており、読み込むことによって、このファトヮー集は近代エジプト社会研究にとっての貴重な資料となり得よう。

(6) イスラム法廷文書、ならびにワクフ省所蔵のワクフ文書が、近代エジプト社会経済史研究にとって貴重な資料であることは、以下のウォルツの研究業績から明らかである。Terence Walz, Trade between Egypt and Bil?d As-S?d?n 1700-1820, Ie Caire, Isntitut Francais d’Acrcheologie Orientale du Caire, 1978.

(7) 以下のエジプト文書管理事情についての解説は、主に次の二つの文献よった。アリーパラカート「エジプト社会史の研究資料―― 困難と問題点――」アリーパラカート著(加藤博・長沢栄治訳)『近代エジプトにおける農民反乱――近代エジプト社会史研究入門――』 アジア経済研究所、一九九一年所収。H, B. Rivlin, The D?r al-Wath?’iq in ??bd?n Palace at Cairo as a Source for the Study of the modernization of Egypt in the Nineteenth Century, Leiden, E. J. Brill, 1970.

(8) 山内が以下の業績において依拠した『クレタ一件文書』(al-wath?’iq al-kh?s?s?a kr?t)を中心としたエジプト国立文書館所蔵文書は、 こうした文書状況下にある文書群である。山内昌之『オスマン帝国とエジプト― 一八六〇―六七年クレタ出兵の政治史的研究――』 東京大学出版会、一九八四年。

(9) その理由は後述するところであるが、こうした理由のほか、『エジプ卜総督内閣官房トルコ語局文書』は、國立文書館所蔵の文書のなかでは比較的整理のよくできている文書群であり、文書のそれぞれに、当該文書作成日付、作成者名、あて先名とともに、ごく簡単なものながら文書館職員の手になる文書の内容の要約がつけられていることが、われわれによるこの文書群の利用を容易にしている。しかし、なかには、おそらくこれまでに当該文書群を参照した研究者のぞんざいな扱いのためであろう、整理番号とそのもとに整理された文番とが一。