『創文』

「イスラム復興とイスラム金融」

1.イスラム復興とイスラム金融

イスラムは現在と将来の世界情勢を解く鍵のひとつである。そのイスラムをめぐって、現在、ジハードとリバーというアラビア語-それぞれ、「聖戦」「利子」と訳される-で象徴され、一見すると対照的なふたつの現象が展開している。ひとつは、国際政治における過激なイスラム政治運動であり、もうひとつは、国際経済におけるイスラム金融の普及である。前者は現在の国際秩序に対して異議申し立てをしている。これに対して、後者は金融工学を駆使したさまざまなイスラム商品を作り出し、現在の国際秩序に順応しているようにみえる。
しかし、このふたつはイスラムという宗教の性格からみて、コインの裏表である。イスラムという宗教を知るためにも、また現代の国際政治経済を分析するためにも、このふたつのイスラム現象を結びつけて把握することは欠かせない。この短いエッセイでは、このふたつのイスラム現象のうち、一般の日本人にはほとんど知られていないイスラム金融について、その普及の歴史的、思想的背景、そしてその内容のあらましを解説し、そのなかで、この論考で課されたテーマである、イスラムの組織観に間接的なりとも言及してみたい。

ところで、イスラム金融といったところで、はっきりとした定義があるわけではない。イスラムの教義、慣行に従って運営される金融の総称、という程度の意味である。イスラム金融という呼称は、1990年代以降に普及したもので、それ以前には、イスラム銀行という名称で通っていた。それは、1970年代後半以降におけるイスラム復興にともなう「イスラム経済」の主張にほかならない。
 
イスラムという宗教の教義のなかに独自の経済プログラムをみようというイスラム経済論は、政治、経済、社会、文化のすべてに台頭したイスラム復興の経済領域での現われである。その中核がイスラム銀行論であった。イスラム銀行の別称は、無利子銀行である。この事実が示すように、イスラム経済論は、資本主義に対抗して主張されたものであり、その理念の象徴として、コーランにおけるリバーという単語に「利子」という定義を与えたうえで、その禁止をうたったのである。イスラム経済論とは、煎じ詰めれば、イスラム(無利子)銀行論であった(*)。

1970年代後半におけるイスラム復興は、次の二つの歴史的背景から生まれた。ひとつは、1967年の第三次中東戦争でのアラブ惨敗を境にした、それまでの民族主義政治体制の破綻である。民族主義に代わる政治イデオロギーとして、イスラムが台頭した。もうひとつは、1974年の第四次中東戦争での石油戦略の発動を端緒とした莫大なオイル・マネーの出現である。産油国のほとんどは保守的な王・首長制をとるイスラム国であった。とりわけ、イスラム「宣教国家」サウジアラビア(中田考『ビンラディンの論理』小学館文庫、2002年、58-65頁)の存在は、決定的に重要であった。

かくて、イスラムへの回帰、つまりイスラム復興が起きた。そして、そのなかから、イスラム政治運動とイスラム銀行が台頭することになる。このふたつは、現代イスラムというヤヌスの二つの顔である。ここで現代イスラムとは、イスラム主義、つまりイスラム「原理主義」の潮流である。イスラム政治運動がイスラム主義の顔であることは容易に理解できる。しかし、イスラム銀行もまたイスラム主義の顔とは? 不思議に思われるかもしれない。しかし、この両者は「原理」に忠実な厳しいイスラム解釈を前提にしているという点において、同じ基盤に立っている。
これまでの歴史において、ジハードとリバーのふたつの言葉は、時代と場所によって、微妙に異なる意味でもって使われてきた。それは、イスラム法学者(ウラマー)が、時代状況に応じた法解釈をしてきたからである。ところが、現代の「原理主義」的な法解釈は、こうした細かな法解釈の手続きを経ないで、直接に「原典」から有意な解釈を引き出そうとする。かくて、ジハードがイスラム国家建設の障害となる勢力に対する戦いを、リバーが利益幅などを一切考慮することなくすべての不労所得、つまり利子を意味することになった。このふたつは、近代の西欧が作り出した政治経済システム、つまり国民国家と資本主義の根幹に異議申し立てをする点において、同じである。

(*)もちろん、これは現代のイデオロギー事情を反映したイスラム経済論についての指摘であり、イスラムという宗教における、また現実のイスラム社会で展開した経済活動には、より広い社会観や文明観と結びついた、豊かな経済観が見られる。この点については、加藤博『イスラム世界の経済史』(NTT出版、2005年)を参照のこと。

2.イスラム金融拡大の背景

イスラム復興とともに台頭したイスラム銀行論は、資本主義の根本にある利子を否定したため、人びとを驚かせ、ものめずらしがられた。それは、イスラムの倫理性を前面に押し立てた議論であり、イスラムの名前を冠した銀行が相次いで設立された。しかし、善意でもって銀行が運営できるほど、市場は甘くない。1980年代後半になると、高い経営コストとモラル・ハザードも理由となって、イスラム銀行は行き詰まることになる。ところが、1990年代に入ると、イスラム金融という名称のもとに、一躍発展の時期を迎える(**)。ある研究者は、この展開を、「イスラム銀行はグローバルになりつつある」というタイトルのもとに、次のように表現している。
それはひとつの神学的な夢として始まった。しかし、イスラム銀行はすでに、中東における実践的なひとつの現実となっている。今日の問題は、シャリーア(イスラム法)評議会や西側の規制当局がそれをどの程度普及させるかにある。(`Islamic Banking Goes Global’, The Middle East, Issue 357, 2005 における冒頭の文章)
それでは、いかにして、かかるイスラム金融の拡大は可能になったのか。まず指摘すべきは、イスラムという宗教の高い現実適応能力である。これまでの歴史においても、イスラムは、変化する時代状況に、法解釈の手続きでもって柔軟に対応してきた。イスラム復興の時代状況における、「原理主義的」な解釈も、こうした現実への適応過程のひとつである。そして、世界がグローバル化するなか、イスラム国家の政治力が低下したことが、イスラム法の「自由な」解釈に拍車をかけた。

そもそも、カトリックのバチカンのような権威の中心をもたないイスラムでは、うえから「正統」を作り出すことは難しい。このことが、イスラムの歴史における統一性と多様性のダイナミズムを生み出したのであるが、同時に、現代のような激動期にあっては、過度に「世論」の分裂をもたらし、ともすれば「世論」を過激な思潮へと流していく。
かくて、伝統的な法学派の権威や拘束性を否定する「原理主義的」な法解釈が主流となったが、そもそも、かかるイスラムの法手続きに適合的な時代状況がなかったならば、近年におけるイスラム金融の急速な拡大はなかったであろう。そして、その時代状況とは、イスラム教徒人口とオイル・マネーの増加、そしてなによりも、経済のグローバル化による国際経済環境の変化である。
現在、約13億と推定されているイスラム教徒の人口は、2025年には約20億、つまり世界の総人口の四分の一となると予想されている。また、石油の「戦略物資」としての性格がなくならない限り、石油価格は高止まりして、産油国へオイル・マネーは流入し続けると思われる。つまり、「イスラム金融商品」の市場は、拡大することはあれ、縮小することはないであろう。

また、経済のグローバル化による国際経済環境の変化とは、岩井克人のいう、資本主義の「グローバル化」であり、「IT化」であり、「金融革命」である(岩井克人『会社はこれからどうなるのか』平凡社、2003年、210-230頁)。その結果、銀行、証券、保険などの多種多様な業種の間の垣根は取り払われ、債権、株式、外国為替、先物、オプション、スワップ、保険などの市場が自由で緊密なネットワークとして再編成されるようになり、資金を容易に、そして大量に調達することが可能になった。

ところで、前近代のイスラム世界では、われわれのいう金融機関なるものはなく、様々な業種が様々な金融の機能を担っていた。それは、「銀行なき銀行家」の金融の世界であった。実際、現代におけるイスラム金融とは、イスラム法で認められてきたさまざまな形態の契約に基づいて、受信業務および与信業務を行うこと、つまり、資金運用業務のみならず、事業展開および小売業務をも行う多目的な企業業務である。
かくて、イスラム金融論とは、イスラム法にちりばめられた伝統的な企業契約の素材を、現代の国際金融の現実に適用させるための実践である。そして、このような実践が、ひとつの研究領域として可能となったのも、規制撤廃によって受信・与信業務の境界が流動化し、金融と実業の関係が深まり、かつてのイスラム世界の金融事情に合い呼応する金融市場が現代において出現したからである。

(**)イスラム金融機関の数は、49ヵ国に333行(社)、2003年のIMFサーベイによると、イスラム金融機関の管理資産総額は、約3600億米ドルである。これは、全世界の金融機関資産の0.8%を占める。その比率はまだ非常に小さいが、今後の飛躍的な発展が見込まれている(長岡慎介「現代イスラーム金融研究のための分析枠組み」『アジア・アフリカ地域研究』 5-2号、2005年、235-36頁)

3.イスラム社会の組織

イスラム世界は、前近代において高度な経済発展をみた。しかし、その経済の商業的な性格から、ものをつくることに利益の源泉をみる、近代における産業資本主義には乗り遅れたと考えられてきた。ところが、その前近代のイスラム世界における金融業務が現代の金融市場に適合的だというのである。なんという、歴史の逆説であろう。
そして、この歴史の逆説は、契約観の領域においても観察される。これまで、イスラムの契約観は、短期的な資金運用に適合的ではあるものの、長期的な資金運用には不適合であるとされてきた。そして、このことが、イスラムにおける「法人」概念の希薄さとあいまって、資本の蓄積メカニズムの形成を阻み、イスラム世界が産業資本主義に乗り遅れた原因となったと主張されてきた。

たしかに、イスラム法における、過剰なまでの同時かつ現物での取引へのこだわり、不労所得としてのリバー(利子)の禁止と将来における不確実な利益に対する懐疑と警戒、精緻でカズイスティックな資本と労働の組み合わせに関する契約規定などは、もっぱら運転資金に基づいて運営される商業はともかく、近代的機械工場を単位とする産業資本主義での巨大な固定資本を調達するのに不向きである。
ところが、現在のポスト産業資本主義の時代に必要とされているのは、リスクの種類や期間の長短や地域の特徴、さらにそれらをさまざまに組み合わせて商品をつくるアイデアや専門技術であり、そのチャンスがあれば、巨額の資金を一瞬のうちに移動したり、多数の専門スタッフを直ちに動員したりできる能力である(岩井、248、235頁)。まさに、それは、前近代におけるイスラム世界で経済に成功するための資質であり、その資質とイスラムにおける短期的な契約観との間には、親和性があったと想像される(***)。

まさに、イスラム経済はアッラー(神)の経済ではなく、インシャーアッラー(神が望むならば)の経済であった。そして、かかる経済にとって適合的な企業組織とは、上下関係と職分がはっきりと定められている会社型の組織ではなく、専門家集団からなり、業種や職分の境を軽々と乗り越え、臨機応変に状況の変化に対応できる組織であろう。それは、組織メンバーの個々の能力と、かれらが取り結ぶ対外的なネットワークを最大の資産とする組織である。
ともかく、このような組織原理に適合的な経済社会が、「近代」をはさんで、イスラム世界の前近代と、グローバル化する世界の現代において観察されるという事実は、まことに興味深い。そして、この事実は、われわれを「近代」という時代の相対化に誘う。

(***)この点に関して、中国法の専門家、寺田浩明の以下の指摘は、イスラム法の契約観を考えるうえでも、示唆的である。つまり、寺田は、英法での契約が第三者権力を介在させることにより「未来そのものを現在化する仕組み」であったのに対して、旧中国法での「契約」は、当事者同士で相談して不確定な「遠く大きな未来」を当事者間だけで処理できる程度の「近くて小さな未来」に細分化して行く手法であったと述べた後、次のように指摘しているのである。 「ここでは工夫をすればするほどに、事態はどんどんと現に目の前にある財の間の等価交換に近づいてゆく、つまりは行う契約自体が将来に履行を残す類の契約ではなくなって行くのである。」(寺田浩明「合意と契約-中国近世における「契約」を手掛かりに」『イスラーム地域研究叢書』4巻所収)