民博通信

「多元的歴史叙述をめざして」

「エジプトはナイルの賜物」。これは、誰もが知るギリシアの歴史家ヘロドトスの  有名な言葉である。この言葉に象徴されるように、エジプトは古来、ナイルの水を利  用した豊かな農業文明を育んできた。地中海周辺に相次いで勃興した強大な政治勢力はすべて、その農業資源の豊かさに引かれ、エジプトの征服、支配を企てた。しかし 、時間とともに、どの政治勢力も「エジプト化」された。   
ナイルはすべてを飲み込む胃袋であった。権力者たちは、エジプトの富を最大限に  搾取するため、中央集権的な支配機構をはりめぐらせた。しかし、エジプトを舞台に展開した歴史絵巻の主人公は、こうしたうつろい行く権力者たちではなく、エジプト文明を育んだナイルであり、その水に生活のすべてをかけ、黙々と働く農民たちであ った。

もう四半世紀以上も前になるが、私がエジプトの社会経済史を研究課題と定めた時の私のエジプト観は以上のようなものであった。そこには、外国の歴史に興味をもつ日本の若 者を取り巻いていた当時の知的環境がよく示されている。まず、そこにはプリミティブで ロマンティクな異文化に対する知的好奇心がある。当時、日本では、やっと海外渡航が高 嶺の花でなくなり、大学院生でも海外留学できる環境が整ってきていた。  次いで、専攻・方法論として歴史学、テ-マとして農業と農民に対する重視がある。当 時の日本の人文社会科学の領域では、歴史学、そのなかでも、農村を舞台とした社会経済 史が大きな影響力をもっていた。日本の社会、とりわけ農村にはいまだ封建遺制が残って おり、それを払拭し、経済と社会を発展させる鍵は農業の近代化と農民の生活改善であり 、人文社会科学はそのための手段であるとされたからである。こうした農本主義に通じる 農業部門の重視には、日本の、そして日本が近代国家建設のモデルとした西欧の歴史にお ける発展パタ-ンが反映していた。つまり、経済の農業革命から産業革命への、社会の絶 対主義革命から市民革命への、段階的な歴史発展パタ-ンである。  この点、エジプトは若き私の問題関心にとって恰好な研究対象であった。まず、エジプ トは典型的な農業立国であった。また、ナセルを継いで大統領になったサダトは後に本格 的な開放経済を取ることになるが、その初期の統治では、依然としてナセル時代と同様に 、封建的、植民地的遺制を払拭するための政治革命と経済革命の同時進行をうたっていた 。実際、当時のエジプトでは、ナセル時代のアラブ社会主義体制でのイデオロギ-であっ たマルクス主義的階級史観の強い影響のもと、農民を主人公とするエジプト国民による国 民国家エジプトの建設の過程をもってエジプトの近代史とする民族主義史観が歴史学界を 覆い、体制擁護のイデオロギ-となっていた。有能な人文社会科学の研究者の多くが歴史 、それも農業に関係する社会経済史を専攻していた。  さらに、エジプトはその砂漠に囲まれた地形、比較的等質的な住民構成、長い領域国家 としての歴史から、中東では例外的に、近代の早い時期に成熟した国民国家を建設し得る 環境と状況に恵まれていた。そのため、エジプト人研究者による自国の歴史叙述は、顕著 なエジプト中心主義を背景とした、一国史観に彩られていた。この一国史観による歴史叙 述という点においても、当時のエジプトと日本の歴史学界は動向を同じくしていた。かく して、日本の学界動向を強く反映した私の個人的問題関心と研究対象国であるエジプトの 学界動向はほぼ同じ方向を向いていた。私の研究生活は快適であった(その成果が参考文 献・である)。  ところが、研究を進める過程で、とりわけ研究の分析単位を国のようなマクロ次元から 村のようなミクロ次元に移して行くなかで、こうした農業中心史観と一国史観に違和感を もつようになっていった。その背景に、ポスト産業資本主義とか情報化社会とかの言葉で 示される、先進国と発展途上国とを問わぬ農業部門の経済に占める位置の急速な低下と、 後にグロ-バリゼ-ションという言葉で表現されるようになる、ヒト、モノ、カネ、情報 の国境を越えた移動があったことは明らかである。  しかし、こうした現代の時代状況以上に私にとって重要だったのは、研究の過程で、農 業中心史観と一国史観のなかに権威主義的な中央集権史観を嗅ぎ取ったことである。それ は、農業以外に就業した人間集団に強い関心を向け、朝鮮半島や中国大陸との交流のなか で日本の歴史を見直そうとする、近年の日本社会史研究者が抱く感覚と類似の違和感では なかったかと思う。そして、この違和感は、単線的な進歩主義史観に対する懐疑の深まり へとつながっていった。私には、単線的な進歩主義史観こそ、農業中心史観と一国史観を 支えるイデオロギ-だと思われたのである。  ところで、私は、そこまで思いが至った時、こんなはずではなかったのだが、と自らに 問うた。というのも、そもそも私は、若い時に受けた教育のためであろう、マルクス主義 的な史観に興味を持ちながらも、「進歩主義」には懐疑的であったからである。たとえば 、戦後の社会経済史学界に大きな影響力をもった大塚史学を、日本が生んだ希有な社会科 学の理論であると敬意を表しながらも、そこにみられる「都市」対「農村」、「商業資本 」対「産業資本」、「国民経済」対「国際経済」、「前近代」対「近代」などの二項対立 的概念構成に違和感を感じていた。そこに、進歩主義的史観を感じ取ったからである。  当時、私は、いまだはっきりと自覚していたわけではなかったものの、多元的な歴史観 と歴史叙述を求めていたのである。しかし、その私も進歩主義的な歴史観から自由だった わけではなかった。そして、このことをエジプト近代史研究の過程ではっきりと認識して からは、エジプトと日本の歴史学界においてともに有力な、農業中心史観、一国史観、そ して進歩主義的史観の三つを、根っこの同じ一つのイデオロギ-として同時に批判しなけ ればならないと思った。こうして、私の研究スタイルは徐々に変化していった。それはエ ジプト社会の統一性(閉鎖性)から多様性(開放性)への関心の移動とでも整理できよう 。そして、この変化は、私の研究テ-マの選択と論文の叙述スタイルのなかにはっきりと 現れるようになる。  テ-マに関しては、まず、農村以外の空間、そしていくつもの社会空間を越境するヒト 、モノ、カネ、技術の移動に興味をもった。都市を、技術と貨幣の蓄積でもって定義した うえで、商品のみならず、労働力、技術の巨大な市場とみなす、イブン・ハルドゥ-ンの 都市論に注目したのも、この理由からであった(参考文献・・)。こうしたテ-マ選択に おいて、28年来の一橋大学地中海研究会と、日本の中東研究者を中心に組織された巨大 プロジェクト「イスラ-ムの都市性」「現代イスラ-ム世界の動態的研究」への参加が大 きな影響力を持ったであろうことは疑いない。それらが、一国史観を越えた学際的な地域 研究を目指したからである。  次いで、中心的な題材に対する周辺的な題材、合理的で秩序立った世界に対する非合理 的で混沌とした世界、誰もが知らされる「歴史」に対する少数の人々によってのみ語り継 がれてきた「物語」への嗜好がはっきりとしてきた。具体的には、エジプト地域社会の類 型化と日常的な交換の場である定期市(参考文献・)、非イスラム教徒のマイノリティ集 団(参考文献・・)、エジプト社会における遊牧民(後述)、血の紐帯などエジプト社会 に根強い慣習(参考文献・・)などである。  また、こうした研究テ-マに対する嗜好の変化と並んで、私の研究スタイルにも大きな 変化が生じた。それは次の二つの点で顕著であった。第一は、具体的個にこだわった歴史 叙述である(参考文献・)。ここで個とは、研究対象としての個とともに、研究主体の個 、つまり私をも意味する。こうして、当然のことながら、私の叙述は一人称を主語とする ものとなっていった。  第二は、システム論的観点の歴史叙述への導入である(参考文献・)。その意図は、発 展史観のなかで中央集権的で進歩主義的な序列を付与された制度、集団、事件、現象を多 元的で重層的な関係の束(ネクサス)のなかで相対化することであった。こうして、事象 をシステム論的に、多元的な「入れ子」状況のなかで論じないかぎり、いかに研究対象を 中心や進歩から周辺や未開へと移しても、結局のところ、二項対立的中心史観の罠に陥っ てしまうと、思われたのである。  ところで、この二つのアプロ-チは、その性格からして、互いに相いれないかにみえる 。しかし、それがいかに困難であろうとも、この両義性は乗り越えられねばならない。こ の点において、私はマルチ・タレントな社会学者、エドガ-ル・モランと方法論上の問題 関心を共有している。彼は、状況によって万華鏡のように姿を変えるトリッキ-な現実社 会をト-タルに理解するために、秩序、無秩序、相互作用、組織化をキ-ワ-ドとした「 複雑性の思考」を提唱し、次のように述べているからである。

積み重ねによってではなく、多様性と多焦点性によって、つまり、付加的にではな  く、広い分野を支配する認識の戦略的な結び目、ばらばらのものを結びつけているつ  なぎ目を探すこと。(エドガ-ル・モラン『E・モラン自伝 わが雑食的知の冒険』  〔菊地昌実/高砂伸邦訳〕法政大学出版局、1999年、48ペ-ジ)

いまから振り返ってみるに、これまで述べてきたような私の研究テ-マと歴史叙述のス タイルに関する嗜好の変化の過程をはっきりと、いわば象徴的に刻印しているのが、19 世紀中葉のエジプトにおいて発生した遊牧民反乱に関する研究である(参考文献・・・・ )。私はこの反乱を国立公文書館での資料渉猟の過程で偶然知ることとなったが、それは 近代エジプトにおいて最大の、そして国家との関係において遊牧民の境遇を決定的に変化 させる契機となった重要な事件であった。にもかかわらず、この反乱は、これまでの近代 エジプト史研究のなかでまったく言及されてこなかった。つまり、それは近代エジプト研 究史において無視された事件なのである。  なぜこの反乱は、これほど大きく、当時のエジプト政府を悩ませた事件であったのにも かかわらず、研究史において無視されてきたのか。私のこの反乱に対する関心の出発点は この疑問にあった。そして、その理由がこれまでの近現代エジプト史研究を覆っていた農 業中心史観、一国史観、そしてそれらを支える進歩主義的史観にあると思い至るのに、そ う長い時間は要しなかった。つまり、この反乱にかぎらず、遊牧民という社会集団は農民 を国民の象徴とする国民国家エジプトの周縁に生活する、遅れた非近代的な浮浪の民とし て、研究の対象たりえない存在なのであった。私は、かつて高名なエジプト人歴史家と意 見交換をした際に、彼が、私の研究テ-マを知って、「なぜ遊牧民なのか」「そんな視角 もありえるのか」、とあきれて呟いたことをいまでも鮮明に思い出す。  こうした遊牧民に対するスタンスのなかに、中央集権的で権威主義的な社会観を読み取 ることは容易であろう。したがって、このこれまでの近代エジプト史研究によって無視さ れた事件を取り上げることは、そのこと自体で、私自身の研究を含めた、これまでの近現 代エジプト史研究動向を批判する作業となると思われた。そして、それは同時に、権威主 義的でなく、多元的な価値観の共存を許容する社会への私のささやかな憧れの表明である とともに、多元的な歴史叙述への模索でもあった。  現在、私はこの遊牧民反乱をさまざまな資料を駆使することによって復元しようと試み ている。ここで依拠する資料とは、大別して、現在まで活字として残された史料と、事件 関係者に対する聞き取り情報である。前者は、政府による法令・通達、地方当局作成の報 告書を中心とした未刊行文書、遊牧民の間で語り継がれている伝承や物語などからなって いる。また、後者は、反乱の首謀者の子孫、反乱に肯定的な首謀者の部族民、反乱に否定 的な首謀者の部族民、首謀者の部族と対立した他の部族民の子孫、反乱の舞台となった地 方住民などに対する聞き取りからなっている。  そして、指摘するまでもないながら、このような多様な種類の資料に依拠するのも、そ のことによって、一つの出来事を多くの視角から解釈するスタンスを確保することが可能 となると考えるからである。それは、言葉を換えれば、出来事をさまざまな関係の束(ネ クサス)のなかで解釈する試みである。この関係の束のなかで、私は関係者の一人である 。かくて、私の認識行為を戦略的な結び目として、この関係の束は客観と主観、過去と現 在の境界を越えて構成されることになる。  現在、私は忙しさにまぎれて、この遊牧民反乱の研究の継続を中断せざるえなくなって いる。情報提供してくれた反乱指導者の子孫の方々は、研究の完成を心待ちにしてくれて いる。研究の遅れを大変申し訳なく思っている。ぜひ、近い将来、研究を再開させたいも のである。

参考文献〕以下は本稿に関係する拙稿である。・「国民軍の編成と遊牧民反乱・・エジ プト近代史における陰画としての遊牧民」『地中海論集・・』一橋大学地中海研究会編、 1989年。・『私的土地所有権とエジプト社会』創文社、1993年。・「近代エジプトの遊牧 民・・「オマル・マスリ-の反乱」聞き取り調査ノ-ト」『一橋論叢』 110巻 4号、1993 年。・「エジプトにおける社会経済変動と空間編成の変容・・近代エジプト「定期市」研 究序説」伊能武次編『中東における政治経済変動の諸相』アジア経済研究所、1993年。・ 『文明としてのイスラム・・多元的社会叙述の試み』東京大学出版会、1995年。・「近代 エジプトにおけるギリシア人とシリア人・・エジプトの少数集団に関する覚書」『一橋論 叢』 116巻 4号、1996年。・『アブ-・スィネ-タ村の醜聞・・裁判文書からみたエジプ トの村社会』創文社、1997年。・「『市場社会』としてのイスラム社会」『社会経済史学 』63巻、 2号、1997年。・「遊牧民 Minority or Vagabond ?・・近代エジプトにおける 国家と遊牧民」『上智アジア学』14号、上智大学アジア文化研究所、1997年。・「砂漠に 消えた「革命」・・近代エジプトの遊牧民「革命」」『地域研究論集』 1、国立民族学博 物館・地域研究企画交流センタ-、1997年。・「『周縁』からみた近代エジプト・・空間 と歴史認識をめぐる一考察」『岩波講座 世界歴史』21巻「イスラ-ム世界とアフリカ」 岩波書店、1998年。・「アレクサンドリアの憂愁・・近代地中海世界の光と影」歴史学研 究会編『地中海世界史3 ネットワ-クのなかの地中海』青木書店、1999年。・「イスラ ム世界における血の紐帯と社会秩序・・エジプト農村社会を事例に」歴史学研究会編『紛 争と訴訟の文化史』青木書店、2000年。・「イスラム社会における法と経済・・所有シス テムの観点から」山内進編『混沌のなかの所有』法文化(歴史・比較・情報)叢書・、国 際書院、2000年。